院長プロフィール
~ 歯科医 西上堅二30才の決断 ~ 皆様の歯科医院へ ~
【 生い立ち 】 昭和29年1月18日に五島の奈良尾に次男坊として生まれる。
小学校4年生から中学校まで剣道を習うが、実家が店だったため、高校生の時から剣道をさせてもらえず約50頭の養豚が始まる。
毎日毎日豚のエサやりとフンの後始末・・・・・。「このまま僕は後を継いで家業をやっていくんだろうな・・・・。」(当時の私はとっても内気な少年)
しかし、なんと京都の大学に通っていた兄が帰省し、兄が家業を引き継ぐことに・・・・。「えええ~、そしたら、今後の人生どうやって生きていけばいいの???」(とてもとても内気な私は、そう思いました。)
そこで、歯医者をしていたおじさんが、「お前は技工士になれ。」っと言われ、意外に私はあっさり「わかりました・・・・。」っと、福岡の技工士学校へ行きました。その後佐世保の歯科医院で2年間歯科技工士として働いていました。
が、ここで運命は大きく変わります。 当時、日本で3本の指に入るぐらいの有名な先生の講義を受けて、「この先生のところで勉強したい!!」と思い、なんとか許しを得て東京に行きました。
ここで、少年から成年に変わります!! 1年間東京での無休生活・・・・・。
その後も過酷な生活を迎えつつも、はたまた26歳の時に渡米し、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学教授の下でさらに1年間勉強をします。27才の時帰国して、その後はライセンスを持った歯科技工士に更なる技術を教える教員として働くことになります。
それから、教務部長として、勤務していましたが、ある矛盾がふつふつと湧き出しました。歯科技工士として最高の技術を提供しても、治療にタッチできない。よしっ、「歯医者になるぞ!」30才の時に全てをすてて、歯医者になることを目指します。
しかも、猶予は1年間のみ。毎日毎日必死の勉強。30才にもなれば脳みそはなかなか覚えることをしりません。
が、31才にしてどうにか運よく歯科大学に合格!!!! 歯医者への道が切り開かれました。36才で卒業し、その後東京の新宿で2年半勤務医として働きます。
そうして、ようやく念願の長崎に戻り今の 「西上歯科」 を開院。現在に至りました。
今まで最高の技術を見聞し、様々な治療をおこなってきましたが、私が患者さんの立場だったら何を思い、どうしてもらいたいのか。患者さんが歯の痛みなどにとらわれず営むことができる。それが大事。それが医療のあり方だと、思っております。
又、現在の治療はどんどん進化しておりますが、その時流のBestを尽くして一生懸命頑張っていきたいと思っております。